風にころがる企業ホーマー

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「まだ生きてるぜぇ~」というタイトルは、以前にも使ったことがあるように思うのですが、私はまだ生きてます(笑)

さて、ずいぶん更新が滞っておりました。
「最近更新されていませんね」という、たいへんありがたいメールを頂くこともあるので、たまには更新してみようと思いました。

思いましたが、特に何を書こうという考えもなく書き始めたので、仕事の話になるのか、子どもの話になるのか、最近読んだ本の話になるのか、まだわかりません。

そうそう、私の実家は福岡県のバイク屋だということをご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、先日、2012年3月31日をもって、40年の歴史に幕をおろしました。
両親が高齢になり、体力的に厳しい状況が続いていたのですが、父親が体調を崩すなどということもあったため、これを機に店をたたんで東京に引っ越してきてもらうことにしました。
私のきょうだいは全員東京に住んでいますし、ちょうど数日前に兄の家に赤ちゃんが生まれたこともあるので、タイミングも(何となく)いいように感じています。

そのようなわけで店をたたむ手伝いをしたり、実家に置いてきた荷物の数々を整理したりと、東京ー福岡間を往復する機会が増えています。
しかしあらためて思うのですが、「生まれ育ったところ」というものに対する特別な感情はなかなか捨てきれるものではなく、私自身はかれこれ20年ほど東京に住んでいるのですが、「自分は福岡県民」という何となくぼんやりしたこだわりのようなものは、ずっと持ち続けています。それで本籍もずっと福岡においています。

そして最近思うのですが、考えてみると私は子どもの頃から、「ふるさと」をテーマにした歌や詩などにやけに惹かれるところがあったな、と。

うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川


で始まる「ふるさと」や、

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの


の「小景異情」、

ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく


と詠った石川啄木。

あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ


という中原中也の「帰郷」など。

数え上げればキリがないのですが、私は子どもの頃から「ふるさと」をうたったものに強く惹かれていました。
当然子どもなので、自分が生まれ育ったところを離れるなんてことを考えていたわけではないのですが、何かこう、取り戻せない大切な時間とか、経験や思いと場所のつながりだとか、そんなものからいつか遠く離れていくものだという感覚があったんじゃないかと、今になって思っています。

とはいえ「必要とあらばどこにでも引っ越すぜ!」という気持ちも常に持ち続けているんですけどね。


で、何でしたっけ?
思いつくまま書いてみて、「こんなん誰が読むのよ?」と、若干の疑問を感じつつ、そのままUPしてしまう私でした。
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今日、4月25日は尾崎豊の命日です。
亡くなったのは1992年なので、もうかれこれ20年近くが経ったわけです。

僕が福岡から東京に出てきたのも1992年。
1991年の「BIRTH ツアー」福岡公演を3列目だか5列目だかで観て、それから1年も経たないうちに亡くなったことになります。

当時福岡には、いわゆるビッグアーティストといわれるような人は、せいぜい年に1回しか来ませんでした。
そのため例えば「浜田省吾が来る!」などというとチケットを買うために、前夜から並んだり、「ふくおか」というローカル雑誌の売買コーナーでチケットを知らない人から買ったりということをしなければ、なかなかライブに行くこともできませんでした。
ましてや外国人アーティストなどが来ることはありませんでした。
高校3年生のとき、推薦で大学入学が決まっている友人達が、Guns n' Roses を観るために夜行バスで東京まで行くのを、少数派の受験組であった僕は羨ましく思ったものです。

尾崎豊に至っては、僕が小学生のとき「Last Teenage Appearance ツアー」で福岡にやってきて、その公演を最後に活動を休止してNYに渡ってしまいましたので、ライブを観るチャンスすらありませんでした。
ちなみにこの福岡公演は、僕の兄が観に行ったので、僕は会場の入口まで着いて行った記憶があります。
そして小学生の頃から憧れ続けた尾崎豊を、高校3年の夏に初めて間近で見た感動は、今でも忘れられません。

1992年に上京してきて、まだマトモに知合いもいない時期に、尾崎豊の訃報を福岡の友人からの電話で知ったときはとてもショックでした。
そして4月30日には護国寺での告別式に参列しました。

ただ、何だか「尾崎ファン」というと、「メンドクサイ奴」という印象を与えてしまうことがあるので、あまり尾崎豊の話はしないようにしていました。
でも、僕の性格やモノの考え方に与えた影響はとても大きく、ファンでなければもう少し違うヒトになっていたのではないかと思っています。



…違う違う、思い出話とか自慢話なんかをしたいわけではなかった。
今日は、ちょっとした文句を言いたかったのです。

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(2011/04/06)
尾崎豊

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例えば最近発売になったこのアルバム。
またしてもベスト盤です。
尾崎豊は生前、一枚もベスト盤を出していないのに、亡くなってからいったい何枚のベスト盤が出たことでしょう。
さらにいえば BoxSet など、3回も出てますし。
おかげで僕のCDラックはこんな感じ。

f8bcc4ef.jpg


BoxSet だけで3つあります。
そのようなわけで、1st~3rd アルバムまでは各4枚ずつあるという、大変マヌケな状態になってしまっています。

で、何が言いたいのかというと、「もういい加減ベストとか出さなくていいでしょ」ということです。
尾崎豊は公式には71曲しか発表していません。
その71曲をあれこれ組み替えてベスト盤を何度も出すのは勘弁して欲しいと思うのです。
僕のようなマヌケなファンは、「うーん、全部持ってるけど買わないといけない気がする・・・」という、よくわからない理由でつい買ってしまうのです。
わかってます。そんな僕のようなマヌケなファンが主要なターゲットだということも。
でも抗いがたい欲求に負けてどうしても買ってしまうのですね。

そして敵もさるもの。
ベスト盤のうち1曲だけは「未発表音源」などを交ぜてくるのです。

そうするともう、こちらもヤケクソです。
「そっちがその気なら全部買ってやろうじゃないか!」と挑発に乗ってしまい、同じようなCDが増え続けるのです。

毎年命日が近づくと、何かしらTVで特集番組が組まれ、何かしら発売されるこの状況。
新しいファンが増えたり、本当の魅力が伝わっていく(伝わっていってないと思うけど)ことは喜ばしいのだけど、彼の作品は消費される言葉、消費される音楽ではないと僕は思っているので、何かこう自然に黙祷を捧げたり、静かにその当時のことを思い出したり、あらためてアルバムを聴きなおしたり、そういう風にこの時期を過ごしたいと思っています。

そういえば辻仁成の詩集には、尾崎豊の告別式のことやNYで会ったときのことなどが、辻仁成の視点から描かれていて興味深いです。

辻仁成詩集 (現代詩文庫)辻仁成詩集 (現代詩文庫)
(1997/09)
辻 仁成

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