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コーポレート・ガバナンスの経営学 -- 会社統治の新しいパラダイムコーポレート・ガバナンスの経営学 -- 会社統治の新しいパラダイム
(2010/03/31)
加護野 忠男、砂川 伸幸 他

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コーポレート・ガバナンスについては、このBlogでも過去に何度か本を紹介してきました。
今回ご紹介する一冊は、そのコーポレート・ガバナンスの「はじめの一冊」としてとてもよいのではないかと思います。
ただし第11章を除いて、という留保付きですが。


さて、例によって章立てから。


序章 経営学から論ずるコーポレート・ガバナンス論/会社統治論
第1章 株式会社と会社統治論
第2章 株式会社の仕組みと会社統治
第3章 アングロサクソン型の会社統治 ―米国を中心に
第4章 ライン型の会社統治 ―日本を中心に
第5章 日本の会社統治の過去
第6章 日本の会社統治の現在 ―日本が間違った時代
第7章 コーポレート・ガバナンスと資本コスト
第8章 コーポレート・ガバナンスと事業投資
第9章 コーポレート・ガバナンスと資本政策
第10章 日本企業の会社統治のもう一つの姿 ―プレイヤーとしての従業員、親会社
第11章 内部統制と会社統治



ご覧のように、コーポレート・ガバナンスの全体像から入り、アメリカを中心とした「アングロサクソン型」のコーポレート・ガバナンス、日本を中心とした「ライン型」のコーポレート・ガバナンス、そしてその日本のコーポレート・ガバナンスについて、過去から現在に至るまでの流れを俯瞰できるという点が、上述したように「はじめの一冊」として適当なのではないかと思う理由です。
これらの点をおさえておけば、昨今のコーポレート・ガバナンスに関する議論の理解がずいぶん促進されるのではないかと思います。


ちなみに第7章から第9章はやや毛色が異なり、ファイナンスとコーポレート・ガバナンスの話題が中心となりますが、コーポレート・ガバナンスを根本的な部分から考えるには、最低限のファイナンス知識はやはり必要だということでしょう。


そして第10章では、最近とみに話題にされることの多くなった、ドイツの共同決定法を中心とした従業員による経営者への牽制や、親会社による経営者への牽制に関しても触れられています。この部分についても本書は、とても丁寧にわかりやすく説明してくれているので参考になるものと思います。
ところで個人的には第6章で採り上げられている、フランスのコーポレート・ガバナンスに関する話が目新しく、また興味深いところでしたので、少し引用したいと思います。


このように他国同様、1990年代になって会社統治(管理者注:本書ではコーポレート・ガバナンスを「会社統治」と訳しています)改革の必要性に迫られたフランス企業であったが、改革を現実に進展させるにあたっては、統治改革それ自体はフランス経済全体の成長・競争力向上を後押しするための道具に過ぎず、あくまでもフランスに根づいている価値観を基盤として、これと整合的な仕組みを導入することなくして意味のある改革はなしえないとの認識が共有されていた。それゆえ、弱点とされた経営を監視する仕組みの形骸化については、いわゆる「米国流」の改革例を一部模範とすることで仕組みの強化を図りつつ、あくまでも、フランスにあった会社統治に関わる基本的な価値観、たとえば国家経済全体の中長期的な成長・競争力向上や、利害関係者総体としての利益重視、これらを自国の長所とみなして、それらは以前どおりに保持したままでの改革であった。
企業不祥事の頻発や英米の機関投資家による「発言」がフランス企業にも押し寄せていたのは、日本企業と同様であった。しかし日本などと同様に「唯一絶対」の姿を想定することはなく、自国の実態にある優劣を分析したうえで統治改革を進めていったのである。




日本が「唯一絶対」の姿を想定しているかどうかは異論もあるかと思います。しかしコーポレート・ガバナンスというと、社外取締役や独立役員といったアメリカの発想を採り入れる話に直結したり、最近ではドイツの発想を採り入れて従業員代表(選任)監査役を導入しようという話になったりという話になりがちです。
この点は、以前の記事でも触れたように、「主権論」をもう少し考えてみる必要のあるところだと思います。

その「以前の記事」でご紹介した伊丹敬之教授は、「日本型コーポレートガバナンス」において、以下のように主張されています。


主権論とは、企業の主権は誰が担うのがもっとも適切か、という議論である。そして、資本を提供する株主と働く人々の両方が企業には共に重要であることを考えれば、それはその二つのグループの間でどのように主権を分かちあうか、という問題になる。カネもヒトも企業活動に必須である以上、主権をどちらかが排他的に持つのであれば、それは問題をはらむことになることは容易に想像される。したがって、主権論とは排他的議論ではなく、株主がメインになるのか、従業員がメインになるのか、あるいはまったく対等で行くべきか、といったことが議論の対象になるような問題領域である。
会社法の世界では、株主主権をあらかじめ想定してしまっているが、それだけでいいのか、という議論が必要なのである。
(太字は管理人による)



最後の太字部分については、今回ご紹介している加護野忠男教授も同じ問題意識をもっていらっしゃるようです。
現状として、私たち企業法務担当者は、現に存在する会社法を前提として日々の業務を行っていかざるを得ないのですが、会社法の見直しがなされようとしている今この時期においては、少し立ち止まって「主権論」から考えてみることも有益なのではないでしょうか。
少なくとも私たちは会社法を、当事者として実際に日々利用しているわけですから、自社にとって或いは日本企業にとってどのようなコーポレート・ガバナンスがよりよい姿、より自社にフィットする姿であるのかを考えることが必要だと思います。


さて、この記事の冒頭で私は、「ただし第11章を除いて」、「はじめの一冊として適当なのでは」と書きました。
この点について少々補足しておきたいと思います。
第11章は「内部統制と会社統治」というタイトルで、これでもかと言わんばかりに内部統制のマイナスの側面について書かれています。
これは、本書が出版されたのが2010年3月30日と、まさに日本の上場企業が内部統制システムの構築に振り回された直後であった影響も大きいのではないかと思います。
例えば以下のようなものです。


実務家の間には、内部統制の制度は本当に必要かという疑念を抱く人々が多い。われわれも、法律に定められているような内部統制は必要のない制度だと考えている。それだけでなく、企業経営に害を及ぼす可能性すらあると憂えている。



内部統制への対応コストは平均1億6,000万円、そして小規模な会社ほど負担するコストは高くなっているとの調査も提出されている。



このように、いわゆる"J-SOX"導入初年度の情報やデータをもって、内部統制を否定的に捉えています。
この点に関して最近では、内部統制のレベル感も徐々に共通の認識として一定のところで落ち着いてきているように感じていますので、必ずしも負の側面ばかりが目につく状況ではなくなっているのではないかと思います。
確かに加護野教授がおっしゃるように、


会社統治制度それ自体には意味はない。統治によって経営をよりよくし、企業価値を高めることが目的である。統治のために実際に発生する金銭的なコストのみならず、制度を運営する過程で発生する時間や人材の無駄遣い、それによって奪われてしまう事業機会も、コストと考えるべきである。また、リスクに挑戦しないことほど、よりよい経営の妨げとなるものはない。よい経営を実現させるために必要なことの多くにはリスクがともなうためである。
内部統制、コンプライアンスの問題を経営学の視点から考えていくためには、こうした点への目配りも重要である。


という点には同意するのですが、「はじめの一冊」として本書を手にされた方にとって、内部統制に対する上記のような主張は、ミスリードの危険があるのではないかと思います。
これは私が勝手に「はじめの一冊」と言っているだけではなく、本書の冒頭においても、「本書は(略)学部生・院生諸君を読者対象としている」と書かれているので、内部統制への偏った見方が植えつけられることに若干の懸念があるわけです。


しかしながら本書を全体として捉えるとやはり、網羅性や説明のわかりやすさといった内容面、また、注釈、参考文献一覧、親切な索引といった形式面においても、コーポレート・ガバナンスの「はじめの一冊」としてお薦めしたい一冊です。
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「東証上場会社 コーポレート・ガバナンス白書2011」が、3月22日付にて、東証のホームページにアップされています。

そんな折。
日本経済新聞の「経済教室」のコーナーでは、3月31日に「コーポレート・ガバナンス 経営者の交代と報酬はどうあるべきか」の著者である久保克行先生、翌4月1日に全国社外取締役ネットワーク代表理事である田村達也さんのご意見が、「企業統治の論点」というテーマのもと、掲載されていました。

久保克行先生の上記著書はこのBlogでも以前ご紹介したことがあるのですが、非常に膨大なデータを基に、経営者の「交代と報酬」について論じられていてとても面白い一冊でした。そして今回の日経新聞の記事もまた、興味深く拝読しました。

さて、4月1日の田村達也さん。
こちらは紙面に目をやると、「社外取締役の義務化を」「国際標準、受け入れよ」「株主・投資家の意見反映」という大きな文字が目に飛び込んできます。
「全国社外取締役ネットワーク代表理事」という肩書が付されている以上、まあ、そのようなご主張は予想されるところでしょう。
中身もじっくり拝読いたしましたが、以下の言葉に全てが集約されているように感じました。


日本を除く世界の資本主義国の会社法制がこうした仕組み(社外取締役の義務化※管理人注)を導入しているのは、資本市場の活用が企業の発展成長に不可欠との認識に立ったものである。現在のわが国の資本市場と会社法制は世界の潮流から外れているため、海外資本が積極参加しにくい環境となっており、日本がグローバル経済の発展から取り残される事態となっている。



確かに監査役制度という海外に説明するのに難儀な制度があることによって「資本市場の活用」がしづらい面はあるかも知れません。
しかし社外取締役設置が義務化されていないことが、「日本がグローバル経済の発展から取り残される事態となっている」ことに直結しているという理屈は少し乱暴な気がします。
また、


財務省統計によれば2004~10年中の対外直接投資は48.1兆円、対内投資は6.5兆円となっている。こうした結果が生じるのは、海外では公開会社の企業買収が容易であるのに対し、わが国では内部者で固めた取締役会が防波堤の役割を果たし、敵対的買収が極めて困難なことも大きな原因の一つではなかろうか。


とまでおっしゃっています。これは例のソース屋さんのことなどを指しているのでしょう。
もちろん、「原因の一つではなかろうか」と問われれば、「原因の一つかもしれませんね」というほか答えられないようにも思います。
しかし果たして社外取締役の設置を義務化すればこれらの問題が解決するのかといえば、決してそのようなことはないと思います。


話は少々逸れますが、このような本が昨年、商事法務さんから出版されています。

会社法の選択―新しい社会の会社法を求めて会社法の選択―新しい社会の会社法を求めて
(2010/10)
中東 正文、松井 秀征 他

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商事法務さんのホームページから紹介文を引用すると、


本書は、明治から今日までの会社法制立法過程に関する歴史的分析をふまえた、かつてない、本格的研究である。
平成の時代にあっては「新会社法」が立法されるなど、頻繁に会社法(商法)改正が行われているが、本書は、明治以来、今日までの会社法立法過程を、それぞれの社会的背景、会社法制立法チャネルの変化、立法に関与した各種アクター(研究者・関係省庁・経済界・政界等ステイク・ホルダー)等の役割りと活動の変化を検証しながら、会社法改正を読み解く。
「無色透明の会社法」理論とその神話化に関する分析を通じて、ガバナンス、ファイナンス、マネジメント業務執行等の会社法立法について根本的な問題提起を行う。


ということで、個人的にとても興味のある一冊なのですが、現在の仕事に直接役立つような代物でもないだろうし、1,246頁もの大部だし、「長期休暇が取れた暁には、陽の当たる縁側でゆっくり読みたい一冊」と考え、amazon の「ほしいものリスト」に登録だけしています。(冗談ではなく本当に欲しいのです)

その「縁側本」(関係者の皆様、失礼な呼び名を付けてすみません)を受けて、中村直人弁護士が「旬刊商事法務」1919号(2010.12.25)に「実務からみた商法・会社法の立法過程と会社法制の見直し」という論考を寄せられていたことを思い出しました。

その中に以下のような興味深い記載があります。


従来、社外取締役義務化論は、モニタリング・モデルを理想とし、経営者は独立した者によって監督されなければならず、それによって企業の効率化や不祥事の防止に役立つという議論であった。
しかし、昨今の議論をみていると、良いものだから導入するという説明ではなく、欧米と日本のガバナンスが異なっており、説明してもなかなか納得してもらえないから、欧米と同じものにすべし、という議論に変わってきているようである。


そして次のような面白おかしい表現をされています。


欧米の投資家などに対する説明という観点からすると、問い「日本には経営者に対する独立した監督者がいるのか」、答え「日本には社外監査役がいる」、問い「社外監査役は経営者に対する人事権を持っているのか」、答え「持っていない」、問い「人事権なしでどうやって監督ができるのか」、答え「・・・・」ということになってしまうので、この際同じにしてはどうかということであろう。




それからまたまた話は逸れてしまうのですが、「旬刊商事法務」の同じく1919号には、アジア・コーポレート・ガバナンス協(議)会(ACGA)による、「法制審議会会社法制部会に対する意見」なるものが掲載されています。
そしてその意見の中には、以下のような記載があります。


(略)会社法または上場規則によって、上場企業の取締役会が、完全な議決権を持ち、適格要件と経験を備えた独立社外取締役を三名以上含むよう規定されるべきであると考えています。


ちなみにACGAは、欧米の年金基金や機関投資家が主要なメンバーのようです。

さらに、やはり同じく「旬刊商事法務」1919号の最後のページ、「スクランブル」においては、「日本企業のコーポレート・ガバナンスはどこへ向かうのか」というタイトルで、主にこの社外取締役問題が取りあげられています。
これは是非、バックナンバーでも何でも取り寄せて読んで頂きたいところなのですが、その一部を引用します。


投資家の中には、日本企業の業績が上がっていないことを錦の御旗に、今年一年間のガバナンス改革に不満を唱えている声高な団体もある。しかし彼らの提案は残念ながら、企業を取り巻く関係者の大半から支持を得られていない。たとえば、独立取締役を相当人数全上場企業に強制すべきであると唱えているが、業務執行の現場になじみのない独立取締役が相当数入り、重要な決定に議決権の一票を投じるよう強制することがいかなる理屈で企業の業績向上つながるのか。赤の他人に決めさせたほうが業績が向上するという理屈はどこから出てくるのか。(略)何かを強制したらこう良くなるという提案が、強制することのデメリットを捨象しているなど議論の視野が狭く、また論理の緻密さを欠いているのである。むしろ、異議を特段唱えていない大半の投資家のほうにサイレントマジョリティがあると考えざるを得ず、少なくともこうした声高な意見を投資家多数の声とみなして制度改正を進めるべきではないであろう。



そんなこんなに思いを巡らせながら、冒頭の「東証上場会社コーポレート・ガバナンス白書2011」のうち、興味のある部分に目を通していました。
そして、
「社外取締役の選任状況」(P28)  東証一部47・1%、東証二部43.1%、マザーズ62.9%
という数字に、「うーむ・・・」と思わず唸ってしまったわけです。

どうも海外からの声は、「監査役設置会社の取締役」と「委員会設置会社の取締役」の役割の違いが正確に理解されていないことがその前提としてあるようです。
そしてそれを理解してもらうために「社外取締役」という海外にもわかりやすい制度を導入しようという動きがあるように見えます。
であれば、海外からの理解を得たい会社は委員会設置会社になって社外取締役を設置し、特段そのような強い希望がない会社はこれまでどおり監査役設置会社として必要に応じて社外取締役を設置すればいいのではないかというのが、現時点での私の考えです。

もちろん、「日本は海外からの投資をバンバン受けたいから、社外取締役を設置してね~!」と、国が強い姿勢を示すのであれば、それはそれでよいことのようにも思えますが、実際のところは経済成長が先にないと投資先としての魅力もないでしょう。
逆にいうと、投資先としての魅力があればコーポレート・ガバナンスの細かな建てつけにまで口を出されることもないのではないかと思います。


以上、思いつくままタラタラと書いてみました。
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コーポレート・ガバナンス 経営者の交代と報酬はどうあるべきかコーポレート・ガバナンス 経営者の交代と報酬はどうあるべきか
(2010/01/21)
久保 克行

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サブタイトルにもあるように、コーポレート・ガバナンスを主に「経営者の交代と報酬」という切り口から語った一冊です。
先日ご紹介した伊丹敬之先生の「日本型コーポレートガバナンス―従業員主権企業の論理と改革」は、戦後から2000年当時までの日本企業の状況と、会社法(正確には商法中、いわゆる「会社法」とよばれていた部分)を分析し、新しいコーポレートガバナンスのあり方を具体的な制度にまで落とし込んで提案するものでありました。
そこでのポイントは「主権論」、つまり会社の主権者は誰か、ということをきちんと議論してはじめて、「メカニズム論」、どのようにしてガバナンスを行うか、ということを議論することができるというものでした。

今日ご紹介する久保先生の一冊は、現行の制度下においていかにコーポレート・ガバナンスを機能させるか、という視点から書かれています。
つまり、株主主権を前提としていると考えられる現行会社法のもとで、どのようなメカニズムを組み立てるか、というところからスタートしています。
そしてご自身や先人の行ったデータ分析を基に、「経営者の交代と報酬」によって、コーポレートガバナンスを機能させることを提案されています。

ところでこの本、タイトルから受ける印象とは異なり、会社法や経営に関する知識があまりない方でも、「ふむふむ」と読めてしまうのではないかと思える、非常に親切な仕上がりとなっています。
「難しい話をやさしく書く」ということに著者が砕身されたのだろうと思います。


さて、まず目次を引用してみます。


第1章 なぜコーポレート・ガバナンスが問題なのか
1 世界経済危機から考えるアメリカ型企業システム
2 所有と経営が分離している理由
3 経営者を規律づける監視メカニズム
4 データの制約について

第2章 社長交代の是非と後任選び
1 経営者の交代はどの程度必要か
2 市場の動きから見る社長交代
3 経営者の交代確率とその理由―誰から誰に引き継がれるのか
4 業績の悪い経営者は本当に交代しているのか
5 社長交代の業績比較―誰に代わるのが良いのか
6 良い経営者を選抜し、悪い経営者を排除するには

第3章 経営者は十分なインセンティブを与えられていない
1 経営者の報酬を探る
2 役員報酬の実態
3 経営者にも成果主義を
4 業績と報酬の関係はアメリカと比べて非常に小さい
5 海外の経営者報酬
6 望ましい経営者インセンティブとは

第4章 取締役会改革で業績を向上させる
1 取締役会は経営を監視しているか
2 取締役会の現状を数値で検証する
3 取締役会は業績向上に貢献するのか?
4 取締役会改革が必要な企業
5 銀行派遣取締役の役割と効果
6 取締役会改革を進めよ

第5章 企業は誰のものか
1 「日本の会社」は誰のために経営されてきたか
2 企業が危機にあるときに削減するのは雇用か配当か
3 会社は誰のものである「べき」か
4 経営者を規律づける最もよい方法



上でご紹介した伊丹先生の著書は、「従業員主権企業」という言葉がサブタイトルに含まれることから想像できるように、ドイツを中心とした欧州企業の事例が多く紹介されています。
翻って本書は、「経営者の報酬」というテーマや上記の目次をごらん頂くとおわかりになるように、米英企業の事例が多く紹介されています。
現在の日本における「独立役員」「社外取締役」「委員会設置会社」「従業員選任監査役」などの話題は、欧州や米英の制度をごちゃまぜにして引っぱってきている感が強いので、両方の事情を知っておくと理解が促進されるのではないかと思います。

まず、本書において久保先生は、「コーポレート・ガバナンス」を次のように説明します。


組織が成功するためには有能なリーダーが必要であろう。そして選任したリーダーに適切な目標とインセンティブを与えること、さらに、リーダーは期待された業績が達成できない場合には解任することが不可欠である。このようなメカニズムは、現在日本の企業でどの程度機能しているのだろうか。また、企業の成功・失敗とこのような経営者に対する監視メカニズムにはどのような関係があるのだろうか。これらの問題を考えるのがコーポレート・ガバナンスである。



そして、コーポレート・ガバナンスに関して重要なことは、

①経営者の交代
②金銭的なインセンティブ

という「二つの単純なメカニズム」であると主張されています。
ここでは「会社は株主のもの」ということが、とりあえずの前提となっています。


さて上記の、コーポレート・ガバナンスに関して重要な「二つの単純なメカニズム」についてですが、

日本の大企業では、業績と社長交代の関係は非常に弱いことがデータ分析の結果、確認できた。具体的には、ROAが8.08%下落したとしても、社長が交代する確率はわずか4.77%しか上昇しない。



経営者が企業業績を向上させるインセンティブを持つためには、経営者の所得と企業の業績の関係が強いことが望ましい。この観点からみると、日本の大企業の経営者は十分なインセンティブを持っていない。データ分析の結果、企業の業績が著しく向上しても、著しく劣化しても、経営者の所得はほとんど変化しないことが示された。



と、いずれも日本の大企業では「二つの単純なメカニズム」が機能していないことを指摘されています。
そして取締役会の改革を進めることによって、これらの現象の根本にある問題を解決することを提案されています。
特に後者、「金銭的なインセンティブ」については以下のような主張が興味深いところです。


所有と経営を分離させた状態で経営者の努力をコントロールする手段として、経営者の金銭的なインセンティブが重要となる。
(中略)
アメリカの経営者の報酬がストック・オプションなどを通じて巨額であることは良く知られている。このような巨額な報酬は、アメリカでも激しい批判を浴びているが、コーポレート・ガバナンスの観点からは、多額のストック・オプションを付与することは、必ずしも悪いとはいえない。
(中略)
役員報酬が適切かどうかを判断する一番の基準は、「いくらもらっているか」ではなく、「業績の変化に応じて変化するかどうか」である。


(強調部分は管理人によるものです)

もちろんここでは、「短期的な業績を重視し過ぎる弊害」を考慮する必要もあるでしょうが、確かにもっともな主張だと思います。
今年(2010年)3月31日決算の会社から、1億円以上の役員報酬を受けている場合は開示が要請されるようになりました。
色々な意味で批判の多いこの制度ですが、1億円という基準は別として、役員報酬の開示自体は、上記のような考えからすると確かに有益なものかも知れません。

最後に、「企業は誰のものか」という問いに対する著者の回答を引用したいと思います。


いわゆるステークホルダー論を実現することは容易ではないことがわかる。従業員と株主に加えて、取引先など他の利害関係者の利害もすべて考慮する形で経営することは望ましいが、実現が著しく困難である。「企業の目的は株主価値を最大化することである」と規定することで、これらの困難は克服することができる。すなわち、株主価値を向上させる経営者が良い経営者であり、経営者が株主価値を最大化するための規律づけのメカニズムも存在する。これらのことから、株主価値を最大化することが、ファースト・ベストではないが、セカンド・ベストであると考えることができる。


(強調部分は管理人によるものです)

最終章でさらりと、「従業員代表を取締役会に送り込むことに対する著者の意見」が、日本の労働市場の問題と併せて述べられているのも興味深いところ。

コーポレート・ガバナンスを考える際には、是非読んでおきたい一冊です。
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日本型コーポレートガバナンス―従業員主権企業の論理と改革日本型コーポレートガバナンス―従業員主権企業の論理と改革
(2000/12)
伊丹 敬之

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あまりにボリュームのある内容だったので、もう一度アタマの中を整理してから感想を書きたいと思っていますが、読み終えて頭に浮かんだことを簡単に残しておきたいと思います。

昔のアメリカは長期雇用が一般的で、長期雇用が特徴である「日本型経営」などというものは存在しない。



「会社は誰のものか」などという議論は無益である。



そのような言葉をよく耳にします。
多くはいわゆる「アメリカ型経営」を意識した、株主重視の発想をされる方による言葉のように思います。

しかしここ数年のアメリカ、特にアメリカの金融機関の凋落を目にし、株主(或いは株価)を重視し過ぎた短期的視点の経営の弊害が指摘されるようになっています。

本書は2000年12月、今からおよそ10年前に出版されたものですが、「従業員主権がメイン、株主主権はサブ」という明確なメッセージを打ち出しています。
筆者のそのようなメッセージ自体はそれ以前、1987年の「人本主義企業―変わる経営変わらぬ原理」から一貫しているようですが、本書では、新しい会社法、新しいコーポレートガバナンスのあるべき姿が、かなり細部に亘り提案されています。

ここのところ話題になっている「従業員代表(選任)監査役」のように、どこか降って沸いたような議論ではなく、日本の戦後のコーポレートガバナンスを俯瞰し、同じ敗戦国であるドイツの共同決定法を参考にしながらも、日本社会に親和性の高いコーポレートガバナンスの姿を模索する姿勢には、執念ともいえる鬼気迫るものすら感じます。


冒頭で私は、「会社は誰のものか」という議論は無益である、ということを述べる人が多いことに触れましたが、これは暗に「会社は当然、出資者である株主のものである」という意味が込められていることが多く、たいていの場合、「アメリカではそもそもそのような議論の余地すらないのだ」というような言葉が付け加えられたりします。

しかし本書は、「会社の主権者は誰か」という主権論がベースにあってはじめて、「どのような経営者のチェックシステムを構築するか」というメカニズム論を議論することができるという考えに基づいています。
つまり「会社は誰のものか」という議論を抜きにして、委員会設置会社だ従業員代表監査役だといったような「メカニズム」の話をすることこそ無益である、ということでしょう。

この点について最終的に筆者は、「コア従業員」「コア株主」といった言葉を使い、会社への長期的なコミットメントの大きさを尺度にして主権者を決定したうえで、それらの主権者間のバランスをうまく取りつつ経営者へのチェックを行う体制を提案してます。


ところで現行の会社法では、理論的には割と自由に機関設計をすることが可能になっています。
しかしある程度の規模の会社、特に上場会社ともなると、これまでどおりの、取締役会を監査役会がチェックする体制(監査役会設置会社)か、委員会設置会社しか実質的には選択の余地はありません。

個人的には、会社というものが経済に与える影響の大きさを考えると、会社の「あるべき姿」というものはある程度、国が明確に示すべきではないかと思っています。
理念のない会社法制や、国の長期的な経済戦略に基づかない会社法制を積み重ねていくことは避けなければいけません。
そう考えると、「機関設計の自由度は高いけれども、実質的な選択肢は狭い」という現状は、日本という国が「会社」というものをどのように導いて行きたいのかはっきり示していない、と言えるのではないでしょうか。
それに対して、例えばドイツの共同決定法などは、問題点も多く指摘されているようではありますが、ひとつの国として会社の「あるべき姿」を真剣に考えてきたことは確かでしょう。
(ドイツの制度については旬刊商事法務1900号に詳細なレポートがあります)


ここのところ様々な団体がそれぞれの立場からコーポレート・ガバナンスに関して意見を述べています。
そのあたりは「コーポレート・ガバナンスハンドブック」に詳しいのですが、議論の土台となるべき、「会社は誰のものか」という一見無益とも思えるようなことについても、もう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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