風にころがる企業ホーマー

企業法務や経営に関する話題を中心に、気ままに情報発信してます。

2011/03

「東北地方太平洋沖地震」と命名された3月11日の大地震から、もうすぐ丸2日が経とうとしています。
今はマスコミもWebの世界も、この大震災の話題で溢れかえっています。

この2日間、Twitter でもやはり大震災の話題がほとんどで、大震災と関係のないことをつぶやいている弁護士さんを非難する人など、やや過剰に反応されている方々も見受けられます。
とはいえ、最も被害の大きな地方にいる方にとって、Twitter は貴重な情報源ともなっているようですので、そのような方のTLを邪魔しないためにも、私としては「いつもの無益なつぶやき」は控えるようにしています。

ところで今朝私は、朝早く目が覚めて、Twitter をぼんやりと眺めていました。
そうしたところどこかの大学生の方の、「お金がないから募金ができない。被災地に行っても邪魔になるだけだろうし・・・」 概ねこのような趣旨のつぶやきを目にしました。
おそらくそんなもどかしい思いをしている学生さんは、ほかにもたくさんいるのだと思います。
でもそんなに焦ったり、ましてや罪悪感を感じることなどありません。
「欲がない」「草食系」「物に恵まれて育ったから云々・・・」などと、とかく悪くいわれる若者ですが、年寄りの雑言などに惑わされることはありません。私だって、そしてもっと上の世代の人だって、いつの時代も「今の若者は・・・」と言われ続けているのですから。
そんな中、「自分にできることは何だろう」と考えて無力感に陥ってしまっているだけでも立派なもんです。私はそう思います。

さて、そんな学生さんや若者たち。つまりこれから世界を動かしていく世代の方々にとって、僅かながらでも参考になればと思い、このエントリを書いています。
私がこれまでに経験した、幾つかの「大きなトラブル」。これらは今回の震災に比べれば全くと言っていいほど小さなトラブルではありますが、そのような経験から、日頃感じていたことを一つだけ伝えたいと思っています。

それは、
「頼りになる人間かどうかは、トラブルのときにこそよく見える」
ということです。

今は何もできなくても、よく観察しておいてください。
今回のような大きなトラブルが起きた際、

1.的確な判断
2.素早い決断
3.行動


これらを行える人が人を引っ張っていきますし、逆にいえば、頼りになる人というのはこれらの行動をとっています。
また、普段はこのような行動がとれる人でも、トラブルの最中ではそうもいかないことがよくあります。
一方で、普段は力を発揮することができずに悶々としていた人が、トラブルが起きたときにこのような行動をとることもあります。
そしてトラブルの最中にむやみに人を批判したり、徒に不安を煽るような発言を繰り返すだけのような人は、信頼するに全く値しません。


これから日本や世界のリーダーになる方たち、別に社会的な権威や権力をもつ人だけがリーダーというわけではありません。
小さな会社の経営者であったり、肩書はなくとも会社で人を引っ張っていったり、地域のおじさんの集まりの世話人であったり・・・
どんな形であれ、これからリーダーとして社会を引っ張っていく若い方たちは、いまは何もできなくてもどかしい思いをしているかも知れません。
しかし、今回の震災に対する大人たちの対応をよく観察して理解し、これからの社会をリードしていけるように準備をしておいてほしいと思います。


以上、小さな会社で小さな組織を引っ張っているに過ぎない30代半ばのおっさんのつまらないアドバイスですが、若い方々にとって何らかの参考になれば幸いです。


まだまだ被害は収まる様子がありませんが、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、少しでも多くの人の命が守られ、心穏やかに過ごせるようになることを心から願っています。
そして震災の影響を受けていなかったり、影響が小さかったりという方々は、できる限り「いつもどおりの生活」を続けてほしいと思います。実際には、いつもと変わらず仕事をしている人たちがほとんどです(わが家にも先ほど新しいテレビが予定通り運ばれてきました)。

最後に、(またしてもですが)武者小路実篤の詩を引用して終わりたいと思います。
私を含めた「おっさん以上」の人たちは、このような心持ちで若い人に接するべきだという自戒の念をこめて。


遠大な志をもち
思慮深くして
鐡の如き意志を有し
しかも快活にして
朗らかな心をもつ
新しく生れた種族よ
自分は君たちのくるのを
待っていた
祝福をおくる


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先日、珍しくわが家の小学校1年生の長男が、テストの答案用紙やら作文やら宿題やら、先生に採点されたものを僕のところに持ってきました。

半年ほど前に、「宿題がまったく出ていないようですが・・・」と先生から電話がかかってきたことがあったものの、特に宿題をやれと言うこともなく、ただ時々、こうして本人が持ってきたときに、「おお、すごいね!」などと言うくらいのことしか、僕はしてきませんでした。
そうは言っても、学校で習っているレベルのことができているかどうかは、日常の会話の中で確認しているので、「概ねオッケー」と、僕は判断していています。

それよりも今は、本人が夢中になっているサッカーを思う存分楽しめるように、サッカークラブの練習に付き合ったり、休みの日に一緒にサッカーをしたり、サッカーのDVDを買ってきて一緒に観たり、ということを優先しています。


さて、そんな長男が持ってきた採点後のものの一つに作文がありました。
学校で行われたあるイベントについての感想を書くように言われたそうで、288字詰め原稿用紙の3分の2くらいに、長男のヘタクソな字が並んでいました。

その作文には先生の赤字が入っているのですが、題名に[ ]このようなカッコがあることや、行の下に文字が2~3字オーバーして書かれていたりといったところにチェックが入っています。
そして最後に、「作文用紙の使い方を練習しましょうね」というようなことが書いてありました。

僕はそもそも、学校教育というものを大して信用していないので、「またつまらないことを・・・」と内心思いつつ、そのような指導をしなければならない先生も気の毒だよなぁ、と感じていました。

「作文用紙(原稿用紙)の使い方」なんて、「そろばんの使い方」のようなもので、これから生きていくのに、どれほど役に立つものなのか、皆目見当がつきません。
そろばんであればまだ、「暗算がよくできるようになる」というようなこともあるかも知れませんが、原稿用紙の使い方は「知っていても損はないかも知れない」という程度のことではないかと思います。

題名は一段下げて書き、姓と名の間は1マス空けて、名の下も1マス空ける。

誰が決めたか知りませんが、どうしてそのような決まりがあるのかすらよくわかりません。
それよりも作文の内容に目を向けて欲しいものです。


そこで私は、何年か前から時々書いている文章、いや、正確にいうと「ひとさまの詩を原稿用紙に書き写したもの」を長男にみせてやりました。
中原中也や室生犀星、武者小路実篤などの、気に入った詩を「何となく気持ちが落ち着くから」という理由で、原稿用紙に書き写しているものです。
これは以前このBlogでも触れたと思うのですが、作家の原田宗典さんが教えて下さったことを真似てやっているものです。

私の原稿用紙の使い方は、学校で教わるようなルールは無視。
もちろんその基となっている詩にもルールなどありません。
「いいなあ」と感じるか感じないか、です。

私は長男に、「先生は細かいことを言うだろうけど、はいはいと聞いておいて、あとは別に気にすることはない。お父さんなんか学校で作文を誉められたことが一度もないのだ」というような話をしました。

そうすると長男は、「自分も何か書いてみたい」と言い出したので、原稿用紙を一枚渡してやりました。
「何か詩を書き写したい」というので、僕の部屋にあった宮沢賢治詩集の、「雨ニモマケズ」のページをみせてやりました。
この詩は毎朝NHKでやっているにほんごであそぼでも朗読されていたので、ただ「ボー」っと眺めているだけかと思っていましたが、長男も知っていました。
そして旧仮名使いカタカナ交じりの「雨ニモマケズ」を夢中で書き写していました。

書き写すこと30分。こんな感じにできあがりました。
ba7d25e9.jpg


久しぶりに「鏡文字」を書くなど、やや興奮して書いた形跡が見受けられますが、書き終えたあとの自慢げな表情が印象的でした。


さてさてその翌日、僕と長男はたまたま近所の古本屋に行くことになりました。
僕があれこれと「掘り出し物」を抱え込んでいると、長男がこの本をみつけてきました。

雨ニモマケズ にほんごであそぼ雨ニモマケズ にほんごであそぼ
(2005/04/26)
齋藤 孝

商品詳細を見る


ビニールに入っていて中を見ることはできませんでしたが、「本は遠慮なく買っていい」といつも言ってあるので、エイヤっと(300円で)購入しました。

家に帰ってから、「ちょっとお父さんにも見せてくれい」と貸してもらい、パラパラと見てみたのですが、これがなかなかスバラシイ。
詩だけでなく、「生麦生米生卵」といった早口言葉から、「春はあけぼの」の枕草子、果ては落語まで、何とも選ばれている日本語に味わいがある。

そしてページによっては縦に字が書いてあったり、横に書いてあったり、字が躍るように書かれていたりと、実に自由な表現がされています。

db0491e6.jpg


齋藤孝さんが編集をしているだけに、「声に出して読みたい日本語」のような言葉がてんこもりの一冊で、自分の分も一冊欲しくなってしまいました。

そのようなわけで、原稿用紙の使い方よりも言葉の使い方や言葉に対する感性を磨いてあげたいな、と思っている次第です。
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