風にころがる企業ホーマー

企業法務や経営に関する話題を中心に、気ままに情報発信してます。

2010/04

「暴力団排除条項について考えてみた。(前半戦)」から随分間があいてしまいました。

前半戦を書いてからこれまでの間にも、Twitter上で@unza_unzaさんから、暴排条項についての記事が掲載されている「金融法務事情」のバックナンバー情報を頂いたりしていました。
(今、金融法務事情のHPを見に行ったら、最新号である1895号の特集が「法務人材育成プロジェクト」という興味深いテーマであることに気づいた。これは注文しなければ・・・)

そんなわけでそろそろ、「暴力団排除条項について考えてみた。(後半戦)」を書いてみようと思ったわけです。


以下、本題。


前回のエントリーでは「金融法務事情」1885号に、暴排条項を理解するのに役立つ割と一般的な話が載っていますよ、ということと、「NBL」の921号から923号まで「暴力団排除条項」についての特集がされていますよ、ということをご紹介していました。
そして「NBL」の921号の「総論」と、922号の「継続的契約」の部分までが、どのような業種にも一般的に妥当する話なので、この部分までについて思うところを書いてみますよ、と宣言していました。

さて前回のエントリーで私は、


「暴排条項」というと、「属性要件」「行為要件」の二つで定められるのが常識となっていますが、「属性要件」に該当することを理由に契約を解除することは、以下の理由で、なかなか難しいのが現実だと思います。


と書いています。

上記引用中、「以下の理由」という言葉が指しているものは一言でまとめると、「あなたは反社会的勢力ですよね、ということを立証することは難しい」ということです。

そうすると「行為要件」、つまり例えば「脅された」などということを理由に契約を解除できるようにしておくしか手段はないのか、ということになってしまいそうです。
しかしそれではあまりに芸がない。
さらに言えば、現在の企業(特に上場企業)に求められているのは、「反社会的勢力との関係を一切もたないこと」であって、「関係を持っても脅されたりするまで放置しておく」という対応は「甘い」と評価されることになるのではないかと思います。
この点については、やはり@unza_unzaさんが、「これどう思う?」と紹介して下さった株式会社鶴見製作所の「不適切な取引の解消について」「不適切な取引に関する結果報告について」という、非常に悩ましいケースも出てきているのですが、これについては別の機会に書いてみたいと思います。

さて、話をNBLに戻します。
NBL922号の「継続的契約」の部分については概ね、以下のような趣旨のことが書かれています。

・取引開始前に反社であることが判明した場合→「総合的判断の結果」「取引条件の不合致」などを理由に取引をしない。ただし契約締結上の過失に注意。

これはまあそうなんだろうな、というところですね。
取引開始前の審査段階できっちりチェックしなさい、さらに言えば取引開始前のできるだけ早い段階で審査をしなさい、という話かと思います。

・取引開始後に反社であることが判明した場合→単に反社との関係があるからといって、継続的契約を解除することが可能かはやや疑問。

これがやはり悩ましいところですね。
結果的にこの論稿では、以下のように述べられています。


このような任意の解消が困難な場合の対応については、継続的契約が成立した場合における契約解消の制約からすれば、十分な予告期間を設けて解約や更新拒絶を行うのが無難といえる。



そしてそのために、「暴排条項をきっちり盛り込んでおきましょう」という結論につながっています。
ちなみに継続的契約の解除事由として、「信頼関係の破壊」の考え方が反社との継続的取引解消にも採り入れられていることが述べられています。

さて、ここからが肝心要の話です。
では、どのような暴排条項が有効なのかというお話です。

しかし時間がなくなったので、次回、延長戦に突入したいと思います。
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法務系じゃないネタばかりですみません。
法務実務で(他人からみれば)とても面白い話もあるのですが、ちょっとココには書けないことが多いもので、あえて仕事から少し離れたことを書いたりしています。

さて、突然ですが皆さんは「防犯ブザー」をご存知でしょうか。

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こんなヤツですね。

先日小学校に入学した長男が、小学校から「防犯ブザー」をもらってきました。
これをランドセルにぶらさげておいて、不審者が声を掛けてきたらヒモを強く引きます。
そうするとピンが外れて大音量のブザーが鳴るという仕組みになっています。

さて、「防犯ブザー」をもらってきた日、僕は物珍しさと本当に鳴るのかを試すため、ヒモを引っ張ってピンを外してみました。

ブーーーーー

っと大音量が鳴り響きました。
わが家はセコムをしているのですが、セコムをセットしているのを忘れてうっかり窓を開けてしまった時になるブザーよりも数段強力な音です。

「よしよし、ちゃんと鳴るな」と確認した僕はピンを戻しました。
そうするとブザーは鳴り止みます。


昨夜のことです。
誰も何も触っていないのに、ランドセルにぶらさげておいた「防犯ブザー」が鳴り響きました。
嫁さんはびっくりして、「何とか止めてくれ」と僕のところにランドセルを持ってきました。
いろいろいじくっても止まらないので、ピンを一回外してもう一度挿しました。
そうするとブザーは鳴り止みました。

それから30分後。
また突然ブザーが鳴り出しました。
今度はピンを抜いても挿しても大音量が止まりません。
夜のことでもあったので、このままでは近所の人が警察を呼びかねません。

「これは破壊するしかない」

そう考えた僕は、普通に壊しても面白くないので、コップに水をいれてその中にポチャンと、「防犯ブザー」を入れてみました。

しかし恐るべき生命力。
防犯ブザーは、水の中にあるので若干音は小さく聞こえるものの、しつこく鳴り続けています。

「次の策を考えねば」

そう考えた僕は、わが家のノートPCのキーボードに重症を負わせたことのある「ハチミツ」をかけてみようかと考えました。
しかしそれではこの「防犯ブザー」を破壊するには足りないように思い、煮沸することにしてみました。

早速ナベに水を入れてグツグツとお湯を沸かします。
そして「防犯ブザー」をポチャンと投入。
(図表1参照)

(図表1)
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茹でることおよそ20分。
「防犯ブザー」は相変わらず、ブーーーーと鳴っています。
正確にはグツグツの音と混ざって、ブ、ブ、ブー、ブー、ブ、ブーと小刻みに震えた音を発しているのですが、いずれにしても音は鳴り止みません。

「いったん冷やそう」

そう考えた僕は、とりあえず火を止め、冷水にさらしてみました。ゆでたまごを作る時と同じ要領です。
(図表2参照)


(図表2)
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「これは相当手ごわいな」

僕はようやく敵(「防犯ブザー」)の真の力を知りました。
そして「次は急速に冷やすしか手はない」と考え、コップに「防犯ブザー」を入れ、それを冷凍庫に入れました。
冷凍庫からはかすかに、ブーという音が聞こえてきます。

そして昨夜はそのまま寝ることにしました。

日が明けて今朝、冷凍庫から「防犯ブザー」の入ったコップを取り出しました。(図表3参照)

(図表3)
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予想通りカチンコチンです。
音も鳴っていません。

本当はここで電子レンジを使って解凍してみたかったのですが、火事になっても困るので、お湯をかけて解凍してみました。
永久氷壁から出てきたマンモスの死体のように、徐々に「防犯ブザー」がその姿を露にします。

そうしたところ、おそるべき事態が!

ジ・ジ・ジ・ジ・・・

と、弱ったセミの泣き声のように、音が鳴り始めたのです。
そしてその音は徐々に大きくなり、5分後には昨夜の大音量と同等の音になったのです。

ここまでくると、怪談映画か何かのようです。
「呪いの防犯ブザー」とでも言うべき事態です。

僕は蘇った「防犯ブザー」を再び冷凍庫に放り込みました。
それでも冷凍庫の中から、相変わらずかすかにブーーーという音が聞こえていました。

しかし、さすがの「防犯ブザー」も30分が経過したあたりで、ようやく息絶えました。
そしてわが家に静寂が戻ってきました。

今晩再びゾンビのように蘇らないことを祈るのみです。
(あえて「分解」という抜本的な解決を図らない物好きな私)
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今朝は長男が、「学校に行きたくない!」と大騒ぎをしていました。

僕達の世代やもっと上の世代の方たちは、「学校には行くもんだ。つべこべ言わずに行け!」というような教育(これを教育と呼ぶかはやや疑問もありますが)を受けてきたのではないかと思います。
僕自身、幼稚園に行きたくなくて体温計をストーブに当てて、うっかり溶かしてしまったり、小学校に行きたくなくて途中の「あかつちやま」と呼んでいた丘に秘密基地を作って遊んでいたりしていましたが、「学校には行くもんだ」というよう感覚はあったように思います。

そしてそのようなある程度「理不尽」な、理由にならない理由に従わなければならないことを知る必要もいずれはあるのかも知れません。

ただ僕としてはやはり、「学校に行く理由」というものをもう少しきちんと伝えたいと思いました。
でも僕にだって「学校に行く理由」なんて、はっきりとはわかりません。
「教育を受けさせる義務」などという無粋な理屈は、ここでは関係ありません。

国語・算数・理科・社会を勉強するため?
他者とのコミュニケーションを学ぶため?
社会の秩序を知るため?

エジソンなど「天才」と呼ばれたような人たちの中には、学校教育をほとんど受けていないと言われている人もいます(もちろん長男が「天才」だとは思っていませんし、むしろ「天才」などでないほうが幸せだとさえ思っています)。
福沢諭吉も「福翁自伝」の中で、15~16歳までは「読み・書き」さえさせる必要がないと言っていたように記憶しています。


ところで、「教育は親がするもの」というのが僕の基本的な考えです。
そして親が教えることができないことを、他人から教わるものだと考えています。
なぜなら「教育」というものは、どれだけ本人のことを真剣に観察したうえで考えてあげられるかが、最も大切な部分だと考えるからです。
できる限り「オーダーメイド」であるべきだと思うのです。

長男が生まれてから保育園を卒園するまでの6年10ヶ月、僕は精一杯、長男のことをじっくりと観察し、そして長男のことを考えて教育をしてきたつもりです。
時に「甘い」と言われることもありましたし、付き合い過ぎて僕が疲れてグッタリすることもありました。

しかし「健康であること・自主性を重んじること・考えること」という教育方針のもと、どんな分野でもどんなところでも構わないので、「リーダー」になれるようにという教育をしてきました。
そして今のところ保育園でも学童保育でも「リーダー的存在」と、先生から伝え聞くことが多いので、僕の方針が間違っていなかったと思っています。
そもそも僕の親世代は、父親が育児に参加することがなかった、少なくとも僕は父親とゆっくり話をしたこともなかったので、「ロールモデル」というものもなく、僕は手探りで子育てをしているわけです。

「もし自分の教育が間違っていて、長男がどうしようもない大人になったら、自分が面倒をみる。他人は面倒をみてくれない。だから教育に責任を持つのは自分なんだ」

これまで僕は、そんなことを妻に何度となく話してきました。


そのような考えから、今朝は長男としばらく話をしました。
そして僕なりに「学校に行く理由」を伝えました。
しばらく考えていた長男でしたが、最後は「学校に行くこと」を自分で決めました。
学校にはすっかり遅れてしまいましたが、きっと長男にとって、そして僕にとっても必要な時間だったのだと思います。

ただ小学校に入学する前に、もっとしっかり話をしておくべきだったと、少し反省しています。
そしてこれからはもっと難しい問題が出てくるのだろうなぁ、と子育ての大変さと面白さを想像しています。
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今日は長男の小学校入学式でした。

小学校の教室に長男が座っている姿を見ると、「大きくなったもんだなぁ・・・」とつくづく感じます。
とはいえ、午後から仕事だったので、あまり感慨にふける暇もなかったのですが。

入学式のあと、教室で配布物のヤマをもらいましたが、小学校・市区町村・PTAなどから、NBL4冊分くらいはありそうな書類の束を受け取りました。
それだけでも面食らってしまったのですが、そのうちのいくつかは「明日までに記入のうえ提出してください」などという、無茶な要求が交じっています。

体調を崩している嫁さんに代わって、僕がせっせと教科書などに名前を書き、体操服にゼッケンを付けたりして、さきほどようやく明日の通学準備が終わりました。
「明日までに提出」という書類も一通り書き終わりました。
そんなわけで夜更かししてます。


ところで話は全く変わるのですが、この間の土曜日は花見に行きました。
「hiroさんは花見に行かないのですか?」
という、お約束のような質問を受けるたびに、「行きません。桜はそんなに好きではありません」などという身もふたもない回答をしたりしていたのですが、まぁ何のことはない、花見に行かなくても家の前が桜なわけです。

家の前が公園なので、桜やら松やら池やらが見えるのです。
ダイニングテーブルに座ると、そのような風景が目の前に広がるわけです。贅沢ですねえ。

でもまあ、せっかく天気も良かったことですし、買ったばかりの長女の自転車の練習も兼ねて、近くの土手まで行ってきました。

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見るからに気持ちの良い休日です。
「桜はそんなに好きではない」と言っている僕でも、「キレイやなあ・・・」とやはり気持ちが和みます。

長男と長女は川に石を投げ込むことに必死で、そのうち川が干上がるのではないかと心配になるほど、石を大量に投げていました。

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僕は土手に座って本など読みつつ、出店で買ったフランクフルトを食べて過ごしました。
いつもであれば子供と一緒に石を投げるところですが、この日は「お父さんは今日はゆっくりするのだ!」と宣言して、30分ばかりゆったりとした時間を過ごしました。

僕は地方都市出身だからか、街と緑の両方が身近にないと落ち着かない性質なのですが、今住んでいるところはまさにその条件にぴったりで、とても気に入っています。


そうそう、僕が桜の花をそんなに好きではない理由を聞かれて、「何だか切なくなるから」と答えたら「らしくない」といつもバカ受けされます。
梶井基次郎の「桜の木の下には屍体が埋まっている」というような、イマジネーション豊かな理由ではないのですが、あの色と散り方は何だかやはり切ないですよね?

僕は、夏の青々と茂った木々が大好きなのです。

ところで休み明けの川べりの朝は、「桜の木の根元にはゴミが積まれている」状況です。
皆さん、ゴミはきっちり持ち帰りましょう。
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「先日のエントリー」で、週刊東洋経済の記事を取り上げました。

ダニエル・ピンクの「Drive」という新著の特集だったのですが、そこで僕は以下のようなことを書きました。

東洋経済の記事を読めば「モチベーション3.0」というコンセプトの概要はわかるのですが、取り上げられている日本企業の例が今ひとつな感じで、ここは是非原書を読んでみたいものです。



「取り上げられている日本企業の例が今ひとつ」と書いたのですが、これは誤解を生みそうですし、僕の思ったことを正確に表現できていないので、少し補足したいと思います。

正確に言えば特集のはじめのほう、「ソウ・エクスペリエンス社」などのベンチャー企業や中小企業の例は非常に興味深かったのです。
ただその後に続く、大企業の例は、いろいろとモチベーションアップへの取り組みをしていることはわかるのですが、果たしてその取り組みが功を奏しているのか、いささか疑問に思ったわけです。
もちろんそれらの取り組みが何らかの効果を上げている可能性を否定するつもりはありませんが、あたかもモチベーションアップへの取り組みが売上増やシェアの拡大に直結したかのような書きっぷりに違和感を覚えました。
このあたりはもう少しクリティカルに考える必要があると思うわけです。

ところで、今回の特集で私が最も感心したのは、元ラグビー日本代表監督・神戸製鋼の平尾誠二さんの考え方です。
失礼な話ですが、平尾誠二さんがこんなに知的な方だとは存じ上げませんでした。
インタビューを拝見すると、一つ一つの言葉に経験に裏打ちされた哲学とでも言うべきものが感じられます。
例えばこんな言葉。


(インタビュアー)何度同じことを言っても伝わらないことがあります。
→それは相手の受信機のスイッチがオンになっていないからだ。聞く気がない相手に言葉は届かない。プレゼンテーション術とか説得力とか、すぐ発信機の話をしたがるけれども、聞く側の受信機をチューニングして精度を高めるほうが大切だ。




指示はなるべく一つにする。「ボールは最短距離で真っすぐ取れ」と指示したら、どこを見ろとか、スピードがどうとかは言わない。とにかく一つのことに集中させる。それができたら次の指示を出す。




「勉強は嫌いだけど、いい成績をとったら大好きなおかあちゃんが喜んでくれる」。僕はこれでいいと思う。



最後に引用した「おかあちゃんを喜ばすための勉強」については賛否両論あると思います。
僕はむしろ反対派ですが、人の心の真実を突いている至言だとは思います。

特集の「モチベーション3.0」とは少し違う話になっているような気もしますが、それはよしとして、平尾誠二さんの言葉に感銘を受けた私でした。
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