風にころがる企業ホーマー(入居作業中)

企業法務や経営に関することについて、情報発信していきまーす!

2009年11月

車で近所を走っていると、クリスマスの飾り付けをしている家を見掛けることが多くなってきました。
早いもので、もう12月なんですね。

「なぜウチはまだ飾らないのだ!」
と長男が言うので、「はいはい」と玄関にオーナメント(っていうんでしたっけ?)を引っ掛けておきました。

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クリスマスツリーはまた来週ということで長男を説得。
あれは物置から引っ張り出すのが著しく面倒なのです。
最近増えてきましたが、電飾までやってらっしゃる方は、出すのもしまうのも大変だろうなと、他人事ながら思ってしまいます。

僕は冬があまり好きではないのですが、クリスマスは家族で楽しみたいと思います。
おとといお寺に行ったばかりで何ですが・・・

昨日(日曜日)は、朝から保育園の懇親会と役員会があり、わんぱくな年長さんたちとドッヂボールやサッカー、リレーをやったので、朝からクタクタになってしまいました。
まあそうは言っても、子供たちと遊ぶのはとても好きなので、とても楽しい時間でしたが。


夕方からは、千葉県市川市で妻の長年の親友がジャズライブを開くというので、東京を西から東へと車で横断し、観にいきました。
妻の友人というのは、妻が勤める会社の元同僚なのですが、とても魅力的な女性で、僕にとっても大切にして欲しい友人なので、子供たちも連れて家族総出で出かけました。

途中、首都高速がやや渋滞していて焦りましたが、時間ギリギリに到着し、なんとか鑑賞。
会場に入ると、妻の友人は2年ほど前に始めたというジャズベースを堂々と弾いていました。
僕はギターが好きなので、どうしても耳がギターの音を拾ってしまうのですが、ベースのリズムもしっかり聞こえ、素敵なセッションを堪能することができました。

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演奏終了後、少し話す時間をとってくれたので、挨拶をしました。
僕は5年ぶり(?)くらいにお会いしたのですが、「シルエットが少し変わったような・・・」と、やはり体型のかわりようにすぐに気付かれてしまいました(笑)

僕の子供たちは何だか照れてしまい、挨拶がやっと、という状態でしたが、また近いうちにライブがあれば馳せ参じようと思います。

30歳なかばで新しいことを始め、それに夢中になるっていうのは素敵なことだなあ、とつくづく感じた市川の夜でした。

一昨日の土曜日は、東京都調布市にある深大寺に行ってきました。

僕は特に信心深いというわけでもないのですが、深大寺には1~2ヶ月に一度はお参りしています。
たまにはお寺まで行って、家族の健康を祈ったり、日ごろの無事を感謝したりという時間があってもいいかな、という程度の気持ちです。
それにお寺の厳かな雰囲気には、気持ちも落ち着きますし。

ただ、今回は一つお目当てがあって、元三大師(がんざんだいし)像なるものが、25年ぶりに一週間だけ開帳されるということだったので、その仏像さんを拝みに行こう、という目的で出かけました。


いつもの土日とは桁違いに人が多く、結構並んだのですが、同時開催の「寺宝展」というもののおかげで、普段は中に入れない本堂に入ったり、本堂から元三大師堂までの通路を歩いたりできました。
ただ、誘導係を仕切っているのが地元の葬儀屋さんだということに気付いた僕は、その辺の利害関係を考えて少しイヤな気分になりましたが。
(三鷹市の有名なお寺の住職を思い出しました)

25年ぶりに開帳される元三大師像というのは、高さ2mもある坐像で、元三大師堂という建物の奥に、上半身だけ見えるような格好で鎮座していました。
金色で、仏像にしては少々強面の迫力のある姿。例えていうなら、仮面ライダーXに出てくるキングダークなんて言ったら失礼ですね。


さて、深大寺の魅力の一つは緑豊かなところ。
カメラを持っていなかったのですが、かえでがきれいだったので携帯で1枚撮ってきました。

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ご開帳は12月3日までですが、深大寺植物公園も隣接されていて、一日ゆっくり過ごせるよいところなので、是非皆さんも行ってみてはどうでしょうか。
深大寺そばもおいしいですよ。

ここのところ、独立役員や独立社外取締役なる言葉をよく耳にするようになりました。
これらは、現在の社外取締役というものの独立性をより高めることをイメージして議論されていることが多いようです。

先日、「ビジネス法務の部屋」さんでも以下のように、社外取締役の独立性の問題について触れられていました。

今朝(23日)の日経新聞一面では、経営コンサルティング会社の調査結果が紹介され、これによると平成21年8月末現在における東証一部上場会社のうち、社外取締役が在籍する全企業の約4割の取締役が大株主出身ということだそうであります。(取引銀行から派遣されている社外取締役を含めると過半数となります)また10月21日の同じコンサルティング会社による調査結果によると、社外取締役に就任されておられる方は著名人が多く、2社から5社程度兼務されている方も結構な比率でいらっしゃいます。



確かに私の知る限りにおいても、社外取締役は独立公正な視点で経営にもの申す、というより、大株主が「カネを出したからには口も出す」といった立場で経営に参画しているケースが多いように思います。
そして同じ理屈から、親会社の人間が子会社の社外取締役になってニラミを効かす、という図式が成り立っているようです。
ニラミを効かすという意味においては一見、そのような社外取締役の存在意義もあるかのように見えますが、これはあくまで大株主や親会社の不利益にならないようにニラミを効かしているに過ぎないのであって、株主・従業員・取引先・地域社会といった全てのステークホルダーに目配りした、独立公正な視点でニラミを効かせているわけではない点に注意が必要です。

ところで会社法において「社外取締役」は以下のように定義されています。

株式会社の取締役であって、当該株式会社又はその子会社の業務執行取締役(株式会社の第三百六十三条第一項各号に掲げる取締役及び当該株式会社の業務を執行したその他の取締役をいう。以下同じ。)若しくは執行役又は支配人その他の使用人でなく、かつ、過去に当該株式会社又はその子会社の業務執行取締役若しくは執行役又は支配人その他の使用人となったことがないものをいう。



つまり今後のトレンドとしては、上記社外取締役の定義について、社外取締役になれる人の基準を厳しくする方向に流れていくことが予想されるわけです。
例えば、大株主はダメ、取引先もダメ、そして簡単な抜け穴である経営者等の親族もダメ、という方向に向かっているようです。

個人的には委員会設置会社という、アメリカから輸入した制度下でこそ、社外取締役のプレゼンスは発揮できるのかなあ、と考えているのですが、従来どおりの監査役設置会社においても社外取締役の担うべき役割は大きく、その適格性は厳しくするべきだと思います。

ただ一点私が懸念しているのは、社外取締役の兼任を禁止すべきないしは兼任しないことが望ましいという論調が目立つことです。
しかし社外取締役が、一社からの報酬だけ(弁護士や公認会計士であれば本業からの収入もあるでしょうが)に依存するのであれば、会社としては報酬を上げなければ優秀な人材を確保できないでしょうし、社外取締役からしても経営陣に厳しいことを言いづらくなるのは自明の理でしょう。
そうすると、優秀な社外取締役を見つけ出すこともつなぎとめることも難しくなってしまうのではないでしょうか。
確かに4社も5社も兼任していると、取締役会に出席できなかったり、一つ一つの経営判断について意見を述べたりすることは難しくなるかもしれませんが、ある程度兼任を許さない限り、社外取締役を増やすべし、という方向に水をさすことになるのではないかと思います。

このあたりの問題はもう少し勉強してからまた考えてみたいと思います。
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「彼」とはまだ会ったことはない。

Web上で知り合い、PCのモニターに写し出される文字を通してしか、僕は彼のことを知らない。
でも僕は彼の文章を読んで、彼の優しさやユーモアや聡明さというものを知っている。
そしてきっと、彼と僕とはとても気が合うと信じている。
会ったことはまだないけれど、生涯の親友になれるんじゃないかと勝手に思っている。


ところで彼の父親が重い病気であることは、以前、彼の文章を読んで知っていた。
その時に、彼の、父親に対する思いに触れて、とても感動したことを覚えている。


ここしばらく、彼の文章がWeb上に現れることがなかった。
「もしかして・・・」と思うこともあったが、彼を直接知る人に聞いたところ、彼はとても忙しい身だという話だったので、それで納得していた。


今日の夜、Web上に久しぶりに彼が帰ってきていることに気付いた。
そして彼の父親が亡くなったということを知った。

彼はきっと、よく知りもしない人になぐさめの言葉を掛けられることを望んではいないと思う。
僕が彼の立場だとしても、やはりそれは同じだろう。

だから僕は、このことに触れることをとても迷った。
でも、僕は少しでも彼の力になりたいと思っている。
もしかすると、触れないことが彼の望むことかも知れない。
ただ、親しい友人の身内に何かあったとき、何の役に立てなくても、せめて自分の気持ちを伝えることくらいはしたい。
そう思って、今、この文章を書いている。



幼い頃僕は、とても父親を嫌っていた。
その頃の僕にとっては、母親が全てであり、母親を守ることが僕の役目だと思っていた。

18歳になって僕が東京に出てきた時、3人の兄弟全員が地元を離れてしまったことから、母親は精神的に少し不安定になっていたと思う。
しかし大学生時代の僕は、母親から電話がかかってくるのが疎ましく、いつも面倒くさそうに電話を切っていた。就職の時にも母親からの助言に一切耳を貸すことはなかった。

そして僕が社会人になって2年目の頃だったと思う。
ある日父親から電話があり、母親が入院して大きな手術を受けていた、ということを聞いた。
母親は、子供に心配をかけたくないから一切連絡をしないように、と父親に言っていたそうだが、父親も少し心細くなったのか、手術後ではあったが、僕たち兄弟に電話をしてきた。
僕はすぐに実家に飛んで帰った。
疎ましく思ったりする時期もあったが、それでもやはり僕にとって最も大事な存在は母親だった。
何度か道を踏み外しそうになった時にもなんとか道を外れずにやってこれたのは、母親が注いでくれた愛情を裏切ることだけはできないという思いがあったからだ。

入院している母親の見舞いに行った後、父親と(たぶん初めて)二人で酒を飲んだ。
ほとんど何も話さなかったように思う。黙々と刺身をつつきながら酒を飲んだ。

その頃から僕は、大事な人といつ別れの日が来ても後悔しないように、自分の気持ちをできるだけ相手に伝え、自分ができる限りのことをするようになった。
正確に言うと、幼い頃からそういう気持ちはあったのだが、よりその気持ちが強くなった。
両親を初めての海外旅行に連れて行ったのも、そんな気持ちからだ。

今、僕は毎朝、保育園に子供たちを送るとき、抱きしめてキスをしてから別れる。よその親から見たら少し奇妙に思えるかも知れない。長男は周りの目を気にする年頃になってきているので、友達の手前、少し恥ずかしそうだ。
妻と駅で別れるときも、妻が見えなくなるまで見送っている。照れくさいので少ししか手は振らない。
歳をとってすっかり好々爺然としている父親や、相変わらず子供や孫に愛情を注ぎ続ける母親には、忙しくてもこまめに電話をし、できるだけ多くの話をするようにしている。

でも僕はわかっている。
たとえ大事な人に対してきちんと愛情を伝え、自分が今できる限りのことをしていたとしても、いざ別れの日がきたときには、「もっと何かできたはず」「こういうことをしてあげたかった」と、自分のできなかったことを見つけては悔やむものだろうと。



人は、自分が幼い頃自分を育んでくれた家族から離れ、いずれ新しい家族を持つ。
運がよければ最愛の子供を授かることもあるだろう。それは本当に幸いなことだ。
そして少しずつ、幼い頃の家族から新しい家族へと、より大きな愛情を注ぐようになる。
それはきっと別れの準備でもあるのだと思う。
親や兄弟という、何にも代えがたい大切なものを失ったとき、新しい家族に囲まれていれば何とかやっていけるだろうと、僕は想像する。



「彼」には奥様とお子様がいると聞いている。
きっと家族に支えられながら日常に戻り、また、優しくてユーモラスで聡明な文章を書き始めてくれるだろう。

僕はいずれ近いうちに彼と直接会って、他愛もない冗談を言い合ったりしたいと思っている。
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