風にころがる企業ホーマー

企業法務や経営に関する話題を中心に、気ままに情報発信してます。

2009/06

asahi.com 2009/6/24 の記事から。


金曜日、退社前に商事法務メルマガをチェックしていたら、「金融庁、公認会計士の懲戒処分について発表」との記事を発見。
「一応見ておくか」とクリックしてみたところ、知ってる名前でびっくり。
私の知っている会計士が懲戒処分を受けるのは、これで2人目です。

今回懲戒処分を受けた会計士は、「まあいずれはこんなこともあるだろう」と予測されたような、危ない橋を平気で渡る御仁だったのですが、本業以外のところでこんなことになるとは、ちょっと予想外でした。

それにしてもニュースを読む限り、このインサイダー取引は稚拙ですね。
私は別に「巧妙にやろう」などと言っているわけではないのですが、公認会計士ともあろうものが、こんな稚拙なやり方で処分されるなんて、本当にかっこ悪いなあ、と思うわけです。
証券取引等監視委員会(SESC)が、どのようにしてインサイダー取引をチェックしているか、少しでも知っていれば、こんな下らないことはしなかったのでしょうが、残念なことです。

今回は本業と関係のないところでのインサイダー取引だったようですが、公認会計士という仕事柄、本業で「重要事実」に触れることも多いのでしょうから、より厳しく自分を律していかないと、信用を失うことになるでしょう。
危ない橋を渡る会計士に一定のニーズがあることは知っていますが、信用を失うと、危ない橋を渡る仕事しか来なくなるのではないかと思います。余計なお世話かも知れませんが。
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土曜日に所用で、一人で車を運転していたところ、車内のオーディオから懐かしい音楽が流れてきました。佐野元春の「Wild Hearts -冒険者たち」です。


土曜の午後仕事で車を走らせていた
ラジオに流れるサキソフォン 昔よく口ずさんだメロディー

誰かがどこかで眠れぬ夜明けを見つめている
誰もが心に見知らぬ夜明けを抱えている




私は尾崎豊をこよなく愛する、ちょっとうざったい(笑)オトコだったのですが、日本人の音楽で最初に好きになったのは、実は佐野元春なのです。

小学3年生から4年生の頃だったと思います。
発売になったばかりのアルバムSOMEDAYを、兄がテープに録音してくれました。
私はこれを本当に擦り切れるほど聴きました。そして何故か必死に「ディクテーション」してました(笑)
子供なので何を歌っているのかよく聞き取れず、特に英語はさっぱりわかりませんでした。
でも何だか歌詞に惹かれて、何とか聞き取って書き取ろうとしていたのです。

話はそれますが、小学校4年生のときに転校した私は、親友たちと離れるのがつらくて、このアルバムを聞きながら胸を痛めていたものです。
ますます話はそれますが、この本もその当時に読んで、切なくなっていました。
魔女のいる教室 (フォア文庫 B 51)魔女のいる教室 (フォア文庫 B 51)
(1983/01)
大石 真

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とても感動した本で、今でも大切にとってあります。


話が相当それてしまいました。
そうです。佐野元春です。

佐野元春の初期のアルバムというのは、歌詞もメロディーも秀逸なものがたくさんあります。
デビューアルバムBACK TO THE STREETやセカンドアルバムHeart Beatの美しい歌詞の世界は若い心には、沁みます。
「つまらない大人にはなりたくない」と歌い上げる「ガラスのジェネレーション」は、この時期の名曲です。

そしてサードアルバムSOMEDAYは、全曲が聴きどころという、偉大なアルバムです。
そしてN.Yから戻ってきた後発表されたアルバム「VISITORS」。評価が分かれるこのアルバムですが、彼の新境地であったことは間違いないでしょう。

続いて発表されたのが、Cafe Bohemia
ハートランドという、佐野元春のバンドの一つの到達点だったのだろうと思います。
ブラスが効果的に使われていて、心地のよいアルバムです。
ハートランドというライブアルバムは、80年代の佐野元春の集大成でした。長いライブアルバムですが、聴き応えがあります。

そしてナポレオンフィッシュと泳ぐ日で、彼の80年代が終わります。

おっと、ここで仕事に行く時間です。
続きはまたいずれ。
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昨日、仕事帰りに、自宅最寄り駅の改札を出ると、消防車が10台以上集まっていました。

火事です。

燃えているのは、駅前の住宅密集地にある3階建の家。
道幅が狭く消防車が入れないため、四方の道路から接近できるところまで消防車が入っていき、少し離れたところからホースを引いて消火にあたっています。

自宅に向かう道が閉鎖されているので、私はしばらく様子を見ていくことにしました。

私は、Keep Out の黄色いテープが張られた一番前で見ていました。
時々火の手が上がります。家の前に張り巡らされた電線が、ショートして稲光のように光ります。
そして風向きが変わると、煙が流れてくるので、少し退避する必要があります。

私のそばに、燃えている家に隣接するアパートから避難してきた女性がいました。
彼女はお風呂に入っていたらしく、慌ててお風呂から飛び出し、体も拭かずにスウェットを着て、携帯電話だけ持って逃げてきたそうです。
知り合いに声を掛けられ状況を説明していますが、恐怖のためか少し震えています。
自分の家が燃えているかも知れないという極限状態の中で、何を持って逃げるかというのは、とっさのことだけだけに、その人の価値観が現れると思います。
私の母は常々、「火事になったら写真を持って逃げる」と言っていました。「何故なら写真は2度と手に入らないから」と。

「フジテレビ」と書いたカメラを持った男性が、不審者を見たという男性にインタビューをしていました。
地元の議員さんがスーツを着たまま現れ、Keep Out をくぐり抜けて消防士に話しかけたりしています。
第一発見者の女性は、その消防士に事情を聴かれています。
火災現場から逃げ出した車椅子の老人は、呆然としていましたが、介護の女性が駆けつけたところ、安堵の笑顔を見せました。

火災は2階から3階へと広がっており、2階はやや火の手が弱まってきました。
数十人の消防士たちは、道路から2階のベランダに梯子をかけ、さらにベランダから3階に梯子をかけて、3階に突入する準備をしています。
そして3階の窓を破り、中に入っていきました。
まさに命がけです。

私と同年代くらいの消防士たちが命をかけて働いている姿に私は胸をうたれました。
彼らにも最愛の家族がいるのだろうなあ、と。
あの、窓から突入していった消防士は、突入の前に何を思うのだろう。
そして無事に家に帰ったあと、既に寝てしまった子供の顔を、どんな気持ちで眺めるのだろう、と。
彼らが仕事に出かけるとき、妻や子供たちにどんな言葉をかけるのでしょう。
私の叔父は、幼い娘を亡くしたときに、人の命の儚さを感じ、「家族に会えるのはこれで最後かもしれない」と思いながら毎日家を出ていると言っていました。

人は、死を意識したときに、真の愛情を感じる

1階の扉が開き、負傷した消防士が肩を担がれて出てきました。
消防士たちは、野太い声を張り上げながら、消火活動を続けています。


遠回りして自宅に向かい、家の前の通りを歩いていると、私の帰りが遅いことを案じた長男が、向こうから全速力で走ってきました。そして私の足に抱きつきました。

私は家族を守りたいと、強く思いました。
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株主総会が無事終了しました。

私は(ほぼ)一人法務なので、総会開催日の決定から、会場準備、招集通知の作成、委任状の集計、シナリオや想定問答の作成まで、全て(ほぼ)一人でやることになります。
とはいえ、この1年ちょっとの間で、何度か総会を運営してきたので、やるべきことは全てリスト化してあり、実際にウンウン唸るのは、招集通知の議案の説明を書くときと、想定問答を作るときくらいでした。

私の勤める会社には、非公開会社とは思えないほど結構な数の株主がいらっしゃいます。
そうすると自然、色んなことを言う人がいるわけです。
招集通知を送った段階で、「よくわからんから説明して」とか、「IR室お願いします」とか(そんな気の利いたものはない)電話がかかってきます。

過去に、とある地方の公務員Sさんが、こんな名言を発したことがあります。
そのときの議案のひとつにストックオプションの発行があったのですが、それについてのコメント。

「そんなもんもらわんと、あんたらは働かんのかい!」

うーん、本質をついているような気はするが、言わずもがなではあるし・・・
大抵の質問や苦情には、うまく答えられる私ですが、この直球ど真ん中の質問(文句?)には、さすがに一瞬戸惑いました。
何とか話を逸らしながら、回答になっているようないないようなことを言って終わりましたが、総会直前の忙しいときに30分の電話は正直つらい。

実はその時点で既に、委任状の集計結果から、全議案可決が判明していたのですが、問い合わせにはきちんと答える必要があるもので・・・

それにしても私は、大抵の仕事なら「やってみたい!」と思う性格なのですが、「IRはつらいな」と思ってしまいます。(株価が下がると、株主ではない人からの嫌がらせ電話などもあると聞きます。)
少なくとも電話がかかってこない仕組みを作るか、専任の担当者を作るかしないと、IRはやっていけないんだろうなぁ。


ところで株主総会が終わって数日後、件のSさんから、全議案反対の委任状が届いたという後日談をお伝えしておきたいと思います(笑)。
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僕とクレジットカードの付き合いは結構長く、18歳のときに池袋の西武百貨店で、水着売場のお姉さんに声を掛けられて作った「セゾンカード」がその始めだ。

学生時代は、クレジットカードに頼って生きていた。
奨学金を貰いながら大学に通っていた(実際はほとんど行っていなかったけど・・・)僕は、田舎からの仕送りだけでは足りずに、アルバイトと「セゾンカード」からのお金に依存していた。
カードで買い物をすることもあったが、「セゾンカード」の利用方法は専らキャッシングだった。
駅前に、セゾンカードのキャッシングコーナーがあって、そこで月末にお金を引き出し、返済日の前日に、返済に必要な額をさらに借りて返す、という自転車操業をやっていた。

就職してから学生時代を振り返ったとき、いかに自分がムダにお金を使っていたのかがわかったが、当時は、「お金がないから仕方がない」くらいにしか考えていなかったように思う。
そうして、生活費とカワサキのバイクに、「セゾンカード」のキャッシングで得たお金を費やしていた。


就職してから、クレジットカードとの付き合い方は少しマシになった。
カード破産目前だった僕も、安定収入が続くようになってからは、何とかその危機を脱して、キャッシングはしなくなった。(今にして思うと、あの利率は高すぎる)
就職してからは、買い物をするときだけ、クレジットカードを「1回払いで」利用するようになった。

そしてこれまでいくつかのクレジットカードを渡り歩いてきた。
「トヨタTSキュービックカード」「シティカード」「ANA JCBカード」「JCBビジネスカード」等々。
見栄を張ってGOLDカードにしたものもいくつか、ある。

「アメリカは日本よりもカード社会だ」
「1回払いであれば手数料がかからない」
「支払いがスマートだ」
「ポイントがつく」
など、カード会社は、クレジットカードがいかに便利でカッコいいものかを僕たちに刷り込んできた。

しかし1回払いとはいえ、借金は借金だ。

僕はこの本を読んで、クレジットカードをすべて処分することにした。

年収200万円からの貯金生活宣言年収200万円からの貯金生活宣言
(2009/04/15)
横山 光昭

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以前、土井英司さんのセミナーに参加したとき、この本の著者である横山光昭さんがパネリストの一人として登壇された。
話は決して上手な方ではなかったが、本に書いてある内容は、とても素晴らしい。

スーパーに行ったとき、現金を1,000円しか持っていなければ、1,000円で買い物を済ますが、クレジットカードを持っていると、ついつい2,000円の買い物をしてしまう。
というような、財布のヒモが緩む心理を、この本は指摘していた。
確かにそれはあるなあ、と激しく同意。
早速僕は、財布の中のクレジットカードをすべて解約した。(例外として、高速道路での手間を考え、ETCカード付のヤツは残すことにしたが)
これで僕とクレジットカードの長い蜜月関係は終わった。さようなら。

しかしそうはいっても、「アマゾンで買い物をするときにはどうすればいいのだ!」という切実な悩みもある。
その解決方法もこの横山さんの本に書いてある。
スルガVISAデビットカードという「デビットカード」を使えば、財布のヒモが緩む心理はクレジットカードと同じことなので注意が必要だが、借金はしなくて済む。即時決済だ。
このカードも早速作ってみた。
止むに止まれぬ時だけ、これを使うという算段だ。

「節約」というコトバが辛気臭くて嫌いだった僕だが、楽しく貯金をしていこうかな、と思い始めたわけです。
ちなみに、「変動費を削ると精神的に辛くなるから、ムダな固定費を削れ」というようなことを、この本だか土井英司さんだかが言っていたが、これは会社にも共通する考え方ですね。
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